「放射線」に対して、アートは何を為せるだろうか?これは、アートの役割についての問いではない。「放射線」という言葉にまつわる社会的なイシューに対してアートは何を為せるか、ではなく、より直截に、「放射線」という事象そのものに対してアートは何を為せるか――あるいは、それをいかに表現できるか――という問いである。「放射線」は「放射能」ではないし、また「放射性物質」でもない(この三つの言葉を意図的に混同したり、文脈上ほぼ同義として扱ったりすることがあるにせよ)。「放射線」は私たちにとって、それが指し示すものをフィジカル(身体的/物理的)に把握することが困難な、そうした何かである。それは、その高いエネルギーゆえに私たちに馴染みのある「モノ=物質」を通り抜けてしまう。それは私たちの目には見えず、それが通過した「モノ=物質」の変化によってのみ視覚化=表象化される。こうした「放射線」のあり様は、私たちが「アート」と呼んでいるものにとって――こうした言葉づかいが許されるなら――なんとも厄介であるに違いない。たとえその「アート」が「非物質的」で「出来事的」なものを思考/志向/試行しているとしても、それは依然としてフィジカルな「モノ=物質」との関わりにおいて――ポジティブにせよネガティブにせよ――自らを定めざるをえない。そうである以上、「アート」にとって「放射線」とは、自らを通り抜けてしまう何か、あるいは、それを表現する際に間接的な手段しか持ちえない何かとしてあり続ける。そして、私たち〈引込線/放射線〉実行委員会は、それを構成する35の個人の集まりとして、この何かを思考/志向/試行することを選びとった。これは、いったい何を意味するだろうか?
ここまで漠然と「アート」という言葉を使ってきたが、ここから先、次の定義をひとまずの拠り所としよう。「アート」とは、〈人間的〉なもの一切のことである。ここでの〈人間的〉とは〈非自然的〉と同義である。これに対して「放射線」とは、どこまでも〈非人間的〉なもの、つまり〈自然的〉なものとしてある。これを前提にすれば、〈引込線/放射線〉というアート・プロジェクトは、その名称に明らかなように、大きな矛盾を抱えていることになる。この矛盾を回避するには、次のどちらかを選ぶしかないだろう。ひとつは、「放射線」という言葉による自己規定をやめてしまうことである。もうひとつは、上述の「アート」の定義を(部分的に、あるいは一時的に)取り下げ、〈自然的〉=〈非人間的〉で(も)あるものとして自らを再規定することだ。私たちに許されるのは、言うまでもなく後者である。「アート」と「放射線」を積極的に混同、あるいは錯誤すること、また、そうすることで「アート」を観念ではなく現実の相において思考し実践すること。〈引込線/放射線〉とは、そうしたアート・プロジェクトなのである。
東日本を襲った巨大地震によって、福島第一原子力発電所の事故は引き起こされた。メルトダウンした核燃料と広域に拡散した「放射性物質」による汚染は人的な災害だが、それらから放たれる「放射線」そのものは、あくまでも〈自然的〉なものである。この8年の間、「放射線」をめぐってさまざまな論争と対立が生じてきたが、その多くがいわゆる低線量被曝を巡るものであることには確かな理由がある。低線量被曝とは、「放射線」を〈人間的〉なものとして受け取る(ための理路を確保する)うえで要請されるイシューなのだ。そこには、〈自然的〉な――あるいは〈人間的〉なものをどのように放棄しえるかについての――関門が待ち構えている。その関門に対峙したとき、〈人間的〉なものは、自らが〈自然的〉なものから切り離されてしかるべきだと要求するだろう。さらには、〈自然的〉なものは〈人間的〉なものへと回収されなければならないと期待するかもしれない。〈引込線/放射線〉は、その半身において、こうした要求と期待を内に抱える(ことを選んだ)アート・プロジェクトなのだが、そこにはほとんど正反対の省察もまた働いている。
「放射線」とは、元素の本質ないし本性――つまりnature――を測るために人間が持ちえる有用な尺度のひとつである。ある核種(元素)の本質を知るために単独の原子をつぶさに観察しても、徒労に終わるしかない。なぜなら、個々の原子の振る舞いは純粋に確率的なものだからだ。しかし、確率的な原子が十分な大きさの集まり(元素の集合)をつくるなら、その振る舞い――どのくらいの「放射線」をどのくらいのペースで放出するか――は定量的なものになる(それはたとえば、半減期や崩壊定数として現れる)。ここで、前述の〈人間的〉と〈自然的〉のアナロジーを用いてみよう。個々の原子は〈人間的〉なものであり、集合としての元素は〈自然的〉なものである。そして、「アート」についても同様のこと――「アート」の総体を〈自然的〉、つまり〈非人間的〉な集合と見なすこと――が言えないだろうか?〈引込線/放射線〉のもうひとつの半身はここにある。〈人間的〉なものとしての「アート」を〈自然的〉なものへと送り込むことなしに、そもそも「アート」は不可能だとする省察が、ここにはあるのだ。個々の〈人間的〉な――〈引込線/放射線〉にあっては〈人間臭い〉ものと呼ぶべきかもしれない――実践をばらばらのまま「アート」へと「引き込み」つつ、そうして形づくられた総体を〈自然的〉なものとしての「アート」(の関門の先)へと「放射」してゆくこと。この二つを、自己矛盾をきたすのを躊躇うことなく、観念ではなく現実において思考/志向/試行すること。そこにこそ、今日の日本において〈引込線/放射線〉というアート・プロジェクトが企図される所以があるはずである。
しかし、ここまで述べてきたすべてが、「放射線」をメタファーとして、あるいはアナロジーにおいて扱うことに終始している、というのもまた確かである。私たちは結局のところ、「放射線」に対して何も為せないままなのだろうか?「放射線」は私たちの「アート」を素通りし、わずかばかりの影を落とすだけなのだろうか?それは、ある意味で正しく、別の意味で正しくない(はずだ)。〈引込線/放射線〉は、「第19・20北斗ビル」と「旧市立所沢幼稚園」を主な「会場」としつつ――この二つは「会場」としての性格を大きく異にしているのだが――、そこから積極的に逸脱していく「サテライト」、「書籍」、「ウェブサイト」を含む複数の〈場〉からなるアート・プロジェクトであり、その「会期」は7か月以上に及ぶ。そして、それを実践するのは、35名の実行委員たちはもちろん、多くの参加者やボランティア、協力者や鑑賞者を含む、決してひとつの求心的なビジョンを共有していない(だろう)人々の〈集まり〉である。日々営まれる個々の実践とは別に、それらが積み重なった全体として、私たちはあたかも「放射線」のように振る舞えるかもしれないのだ。〈引込線/放射線〉とは、そうした期待が向かう先にある何ものかであり、また、その期待そのものでもある。
[T. M. ]
《ひとつではなく、複数のステイトメントを掲げ、散らす》2019、〈引込線/放射線〉実行委員会
「放射線」に対して、アートは何を為せるだろうか?これは、アートの役割についての問いではない。「放射線」という言葉にまつわる社会的なイシューに対してアートは何を為せるか、ではなく、より直截に、「放射線」という事象そのものに対してアートは何を為せるか――あるいは、それをいかに表現できるか――という問いである。「放射線」は「放射能」ではないし、また「放射性物質」でもない(この三つの言葉を意図的に混同したり、文脈上ほぼ同義として扱ったりすることがあるにせよ)。「放射線」は私たちにとって、それが指し示すものをフィジカル(身体的/物理的)に把握することが困難な、そうした何かである。それは、その高いエネルギーゆえに私たちに馴染みのある「モノ=物質」を通り抜けてしまう。それは私たちの目には見えず、それが通過した「モノ=物質」の変化によってのみ視覚化=表象化される。こうした「放射線」のあり様は、私たちが「アート」と呼んでいるものにとって――こうした言葉づかいが許されるなら――なんとも厄介であるに違いない。たとえその「アート」が「非物質的」で「出来事的」なものを思考/志向/試行しているとしても、それは依然としてフィジカルな「モノ=物質」との関わりにおいて――ポジティブにせよネガティブにせよ――自らを定めざるをえない。そうである以上、「アート」にとって「放射線」とは、自らを通り抜けてしまう何か、あるいは、それを表現する際に間接的な手段しか持ちえない何かとしてあり続ける。そして、私たち〈引込線/放射線〉実行委員会は、それを構成する35の個人の集まりとして、この何かを思考/志向/試行することを選びとった。これは、いったい何を意味するだろうか?
ここまで漠然と「アート」という言葉を使ってきたが、ここから先、次の定義をひとまずの拠り所としよう。「アート」とは、〈人間的〉なもの一切のことである。ここでの〈人間的〉とは〈非自然的〉と同義である。これに対して「放射線」とは、どこまでも〈非人間的〉なもの、つまり〈自然的〉なものとしてある。これを前提にすれば、〈引込線/放射線〉というアート・プロジェクトは、その名称に明らかなように、大きな矛盾を抱えていることになる。この矛盾を回避するには、次のどちらかを選ぶしかないだろう。ひとつは、「放射線」という言葉による自己規定をやめてしまうことである。もうひとつは、上述の「アート」の定義を(部分的に、あるいは一時的に)取り下げ、〈自然的〉=〈非人間的〉で(も)あるものとして自らを再規定することだ。私たちに許されるのは、言うまでもなく後者である。「アート」と「放射線」を積極的に混同、あるいは錯誤すること、また、そうすることで「アート」を観念ではなく現実の相において思考し実践すること。〈引込線/放射線〉とは、そうしたアート・プロジェクトなのである。
東日本を襲った巨大地震によって、福島第一原子力発電所の事故は引き起こされた。メルトダウンした核燃料と広域に拡散した「放射性物質」による汚染は人的な災害だが、それらから放たれる「放射線」そのものは、あくまでも〈自然的〉なものである。この8年の間、「放射線」をめぐってさまざまな論争と対立が生じてきたが、その多くがいわゆる低線量被曝を巡るものであることには確かな理由がある。低線量被曝とは、「放射線」を〈人間的〉なものとして受け取る(ための理路を確保する)うえで要請されるイシューなのだ。そこには、〈自然的〉な――あるいは〈人間的〉なものをどのように放棄しえるかについての――関門が待ち構えている。その関門に対峙したとき、〈人間的〉なものは、自らが〈自然的〉なものから切り離されてしかるべきだと要求するだろう。さらには、〈自然的〉なものは〈人間的〉なものへと回収されなければならないと期待するかもしれない。〈引込線/放射線〉は、その半身において、こうした要求と期待を内に抱える(ことを選んだ)アート・プロジェクトなのだが、そこにはほとんど正反対の省察もまた働いている。
「放射線」とは、元素の本質ないし本性――つまりnature――を測るために人間が持ちえる有用な尺度のひとつである。ある核種(元素)の本質を知るために単独の原子をつぶさに観察しても、徒労に終わるしかない。なぜなら、個々の原子の振る舞いは純粋に確率的なものだからだ。しかし、確率的な原子が十分な大きさの集まり(元素の集合)をつくるなら、その振る舞い――どのくらいの「放射線」をどのくらいのペースで放出するか――は定量的なものになる(それはたとえば、半減期や崩壊定数として現れる)。ここで、前述の〈人間的〉と〈自然的〉のアナロジーを用いてみよう。個々の原子は〈人間的〉なものであり、集合としての元素は〈自然的〉なものである。そして、「アート」についても同様のこと――「アート」の総体を〈自然的〉、つまり〈非人間的〉な集合と見なすこと――が言えないだろうか?〈引込線/放射線〉のもうひとつの半身はここにある。〈人間的〉なものとしての「アート」を〈自然的〉なものへと送り込むことなしに、そもそも「アート」は不可能だとする省察が、ここにはあるのだ。個々の〈人間的〉な――〈引込線/放射線〉にあっては〈人間臭い〉ものと呼ぶべきかもしれない――実践をばらばらのまま「アート」へと「引き込み」つつ、そうして形づくられた総体を〈自然的〉なものとしての「アート」(の関門の先)へと「放射」してゆくこと。この二つを、自己矛盾をきたすのを躊躇うことなく、観念ではなく現実において思考/志向/試行すること。そこにこそ、今日の日本において〈引込線/放射線〉というアート・プロジェクトが企図される所以があるはずである。
しかし、ここまで述べてきたすべてが、「放射線」をメタファーとして、あるいはアナロジーにおいて扱うことに終始している、というのもまた確かである。私たちは結局のところ、「放射線」に対して何も為せないままなのだろうか?「放射線」は私たちの「アート」を素通りし、わずかばかりの影を落とすだけなのだろうか?それは、ある意味で正しく、別の意味で正しくない(はずだ)。〈引込線/放射線〉は、「第19・20北斗ビル」と「旧市立所沢幼稚園」を主な「会場」としつつ――この二つは「会場」としての性格を大きく異にしているのだが――、そこから積極的に逸脱していく「サテライト」、「書籍」、「ウェブサイト」を含む複数の〈場〉からなるアート・プロジェクトであり、その「会期」は7か月以上に及ぶ。そして、それを実践するのは、35名の実行委員たちはもちろん、多くの参加者やボランティア、協力者や鑑賞者を含む、決してひとつの求心的なビジョンを共有していない(だろう)人々の〈集まり〉である。日々営まれる個々の実践とは別に、それらが積み重なった全体として、私たちはあたかも「放射線」のように振る舞えるかもしれないのだ。〈引込線/放射線〉とは、そうした期待が向かう先にある何ものかであり、また、その期待そのものでもある。
[T. M. ]
《ひとつではなく、複数のステイトメントを掲げ、散らす》2019、〈引込線/放射線〉実行委員会